人類みな兄弟姉妹.com

「日本」が好きになれる人が増えれば嬉しい・・・

2020-10-01から1ヶ月間の記事一覧

★貴方は、本当に日本人なの?(2)

まず、貴方に見てもらいたいものがある・・・ 「昭和」という時代が終わり、「平成」という新しい時代に 元号が変わった大事な2つの行事・・・ www.youtube.com 大事なことは、まず貴方が「感じること」。 ポイントを3つだけしておこうかな・・・ ・僕も貴…

★貴方は、本当に日本人なの?(1)

これは、私たち日本人に生まれて住んでいる人間が、 唯一堂々と「日本」という自国を誇り、国旗を惜しげもなくふれるよくあるシーン。 さあ、ここで貴方に尋ねてみたい・・・ 「貴方は、日本に生まれた日本国民として棺桶に入るまでの人生のうちで、 スポー…

社会へ出て早28年(その20)

では、この『社会へ出て早28年』と題したシリーズ最終号に際し、 エグゼクティブ・コーチングのクライアントになった女性経営者、 若手起業家のコメントを紹介しよう。 『やっぱり、自分一人で考えるには限界があるというか・・・ 会長と対話をするたびに…

社会へ出て早28年(その19)

さらに、地方自治体の首長様より相談を受けるようにもなり始めたのも、 この頃からであった。 実は、あまりこのことは知られていないが、 「公営企業活動」の主催者は地方自治体であある。 そのなかで、競馬以外の3つの公営ギャンブルでは 我々親族は、公設…

社会へ出て早28年(その18)

39歳、本格的な「コンサルティング・ファーム」を、 ビジネスの実績を残してきた2人のエグゼクティブ・シニアと共に、 彼らの出資も受け、新会社を設立し代表取締役会長へ。 法人設立に伴い、エグゼクティブ・シニアらに示した私の唯一のルール・・・ 「…

社会へ出て早28年(その18)

39歳、本格的な「コンサルティング・ファーム」を、ビジネスの実績を残してきた2 人のエグゼクティブ・シニア(62歳、61歳)と共に、彼らの出資も受け、新会社を 設立し、代表取締役会長へ。 会社設立に伴い、エグゼクティブ・シニアらに示した私の唯…

社会へ出て早28年(その17)

こうやってみると、 今だからわかる僕の存在意義だとか、 どうして、若くしてこういう役割が担えたのか、 何より現在に至っても活動を続けていられるのか・・・ 「文字化」ができるようヒントが、いくつも浮かび上がってくる・・・ それまでの僕は、どちらか…

社会へ出て早28年(その16)

では、ここで当時「笹川スタイル」のエグゼクティブ・コーチについて クライアントの先輩経営者が、どんな感想、印象を持たれたのかを紹介しよう。 『息子の年齢に近いにもかかわらず、笹川くんはドシっと腹が座っており、 どこか普通の若い世代とは明らかに…

社会へ出て早28年(その15)

当時、私のような35歳の若造のクライントになってくださった経営者は、 僕よりはるかに年上の経営者、50~60歳の世代だった。 つまり、自分の頭で答えを導き、決断を出して行ける世代であった。 だから、私みたいに気の利いたことが言えなくとも、 「…

★社会へ出て早28年(その14)

この天職を今、この年齢を重ねてやり続けている僕にとって、 いくつかの原風景が思い出される。 1つが、昭和1ケタの師匠との仕事。 社会人1年目であったが、上司は社長である師匠。 何も教えない。 わからぬことを聞きに行っても、その質問の仕方が少しでも…

社会へ出て早28年(その13)

詳細は【笹川流】に譲るとして、 僕の若き時代の苦い体験から、組織のトップにとって、 「己の感情との付き合い方」 「己に間を問う」 「信頼たるべき、非・利害関係者の存在」 「ナンバー2の存在」 など・・・ 事業経営全体に大きな影響を与える経営者の「…

社会へ出て早28年(その12)

『社長には、社業以外に2つの世界を持つことが非常に重要である。 任期がないオーナー経営者は健康であれば一代で、30年近く社長業を 継続していく上で、この考え方はとても重要となるし、下手すると 「社長自身の存在意義」の命取りにも繋がるであろう。…

社会へ出て早28年(その11)

ところが、そんな僕の目の前に、ある一冊の書物と運命的な出逢いが起きた。 その方へ出した僕の一通の手紙から、帝国ホテルに数十年にわたり住む、 その人物との面談に臨んだ。 ここで、現代風に表現すれば「エグゼクティブ・コーチング」を受けることを 決…

社会へ出て早28年(その10)

さて、 私が入社した際に、先代が私に宣言した通り・・・ 当時の日本社会では年齢からすれば、大変若い 30歳で僕は社長に就任した。 先代は会長、相談役にも残らず、 その日から一度も顔を見せなくなった。 私も「社長」という立場になって、 初めて見える…

社会へ出て早28年(その9)

そして、そういう大人の集う場所へ出かけるようになり、 僕自身も自主的に始めたことが、いくつかあった。 ・日本経済新聞の全ページの記事を端から端まで、 365日にわたり読み続けたこと。 ・銀座界隈の画廊を、毎日2軒巡ったこと。 ・大人たちの会話か…

社会へ出て早28年(その8)

そのために僕がとった行動は、 同世代が出かける異業種交流会や勉強会には足を向けず、 本物の経営者、一流の大人がいる場所を懸命に探して、 足げく通うことであった。 そこに集う紳士らは、社業を離れた「懇談」という空間で、 ひとりの人間へ回帰し、人と…

社会へ出て早28年(その7)

それと入社同時に僕は取締役に就任し、 先代から「30歳で社長交代する」とも言い渡された。 番頭不在、昭和一ケタ世代の先代が、 仕事については何一つ教えてくれることはなかった。 会社にあるすべての書類を、ひっくり返しながら仕事を覚えていった。 そ…

社会へ出て早28年(その6)

1992年、カナダより帰国し、家業でもある公営ギャンブルの世界へ。 全国24ケ所の競艇場は、 35施行者(県1、市19、町1、組合10、企業団4)が 開催をしている。 その地方自治体から業務委託を受ける民間企業が、 私の社会人としてのスタートと…

社会へ出て早28年(その5)

大学卒業後、1年間の条件付によるカナダ留学も、 日本人の僕を一回りも大きく成長させてくれる 貴重な経験となったことは、間違いないだろう。 バンクーバーに半年 トロント1ケ月 トロント郊外へ5ケ月・・・ せっかくなので、住む地域も色々と変えてみる…

★社会へ出て早28年(その4)

元祖「全人教育」のパイオニア的存在、玉川学園での学校生活は、 現在の僕の人格形成を大きく決定づけることとなった。 なかでも「音楽教育」は、特筆すべきものがあり、振り返ってみると 中学部から大学までの「10年」という月日において、大きなウエイト…

★社会へ出て早28年(その3)

振り返ると、師匠は名将・野村監督の「ぼやき」のような 語り口調であったと思う。 怒っているわけではない・・・ 具体的に、何かを教えているわけでもない・・・ ましてや、「こうしろ」と命令もしない・・・ ・・・しいて言うならば、「考えさせる」・・・…

★社会へ出て早28年(その2)

『語らず、売らず・・・いかに一人の「人間」という存在そのもので、 人の世を歩んでいけるのか・・・ 人知れず、どんな環境下においても、鍛錬を積む・・・ 権力、カネ、肩書の力ではない、真に人々を導いていく人物となるべく、 「在り方」よりその道は自…

★社会へ出て早28年(その1)

今から30年前・・・師匠58歳、僕22歳。 飯能ゴルフクラブの食堂で、名物のカレーライスを頬張りながら、 本当に数多くの原理原則の話を聞かせてもらった。 なかでも思い出深く、現在も私がこの極めて難解なテーマに挑んでいる 事柄を2つ記す。 『“姓”…

★社会へ出て早28年(その0)

僕は昔の話、過去のこと・・・聞くのも話すのも、好きじゃない。 そんな僕が、このテーマで文章を認めるには、実はある人物の影響がある。 それが、精神障害者・ペルソナだ。 peru-sabusawa.hatenablog.com 彼とは、彼がFB上に私のことを度々書いていたの…