そして、そういう大人の集う場所へ出かけるようになり、
僕自身も自主的に始めたことが、いくつかあった。
・日本経済新聞の全ページの記事を端から端まで、
365日にわたり読み続けたこと。
・銀座界隈の画廊を、毎日2軒巡ったこと。
・大人たちの会話から飛び出す難解な言葉は徹底的に
調べ上げ、書籍は購入し、教養を蓄積していったこと。
その多くは、自分の興味対象以外にその視点を置いたことだろう・・・
とのかく、一流と呼ばれている人間が、持っているもの、やっていること、
喋っていることを、耳ではなく「皮膚の毛穴」で吸収していったのであった。
その結果、
会合へ出席するたびに、大人たちの目に留まりはじめ、一人また一人と
声を掛けられるようになった。
さらに嬉しいことには、
ほかの会合以外の場所にもお誘いをもらえるようになったことだった。
・協賛しているコンサートのチケットをもらう
・美術館のチケットをわざわざ郵送でもらう
・新たな経営者の勉強会へ同行を許される
・わざわざ新聞記事のコピーを持参し、下さったこと
最後には、
大人たちの「特別な御使い」も仰せつかる御役目の
機会もたびたび頂けるようになったのであった。
「笹川君、xxx会長にこの手紙を届けてもらいたい。
ただし、とても大事な手紙なので、秘書ではなく、
必ず本人に手渡すようにしてもらいたい。
不在の場合は、持ち帰ってくるように」。
そういう「御使い」の後には、しばらくすると新聞ニュースに、
その企業に関連することが報道されたのであった。
さらには、
「コンサルタント」という看板を出していなかったが、
時々相談事が持ち込まれるようにもなった。
なかでも今でも覚えているのは、障害がある子供をもつ
経営者らの悲痛な叫び・・・
「将来親亡き後に、どのようにして彼らが福祉の支援を受けずとも、
きちんと自立して生きていけるのか」・・・
当時の私は、あまりにも若く、非力であったこともあり、
何の力にもなれず、なすすべもなく途方に暮れたのであった。