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「日本」が好きになれる人が増えれば嬉しい・・・

100号記念(5)

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そして、この『ほほづゑ』を創刊するにあたり中心的役割を果たされた、鈴木治雄さん、住吉弘人さんとは、如何なる人物であったのか?

 

私も当時お二人のお名前は新聞雑誌で目にすることはあったが、改めてここで紹介したいと思います。

 

鈴木さんは、一九一三年、鈴木商店(現在、味の素)第二代社長の五男として生まれたが、決して順風満帆の人生ではなかった。

 

十六歳の頃、結核性の網膜炎になり学校を一年半休み、その時期に音楽・哲学・聖書の世界を触れていった。

 

特に、正岡子規石川啄木に傾倒したようである。一九三九年、父親の要請により昭和電工創立に伴い入社するが、軍需産業を推進した理由で公職追放を強いられた。給与もなく財産税による没収もあり、追放解除で復職したときは、会社に着ていく背広もなかったほどであった。

 

その後、一九七一年社長、一九八一年会長、名誉会長を歴任された。

 

社業以外では、経済同友会の設立に際し当時最年少の発起人となり、後に副代表幹事を務め、一方東京大学の講師を務めるなど「知性派財界人」としても知られていた。

 

同時に、当時財界人のなかでも、鈴木さんは屈指の読書家であったと言われていた。それも乱読ではなく四十年にわたりプランをたてて読まれ、『古典の読み方』、『古典と仕事』、『企業人の読書日記』など著書も多く、どれほどの読書家であったかは想像できるだろう。

 

この他には、書画骨董や美術音楽の造詣も深く、六十歳をすぎてから油絵もたしなまれました。