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100号記念(2)

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ところで、財界人文芸誌『ほほづゑ』は、どのような経緯で創刊されるに至ったのだろうか?

 

同誌発行人・福原義春さんの著書『僕の複線人生』に、その当時のやり取りが詳しく書かれているので紹介したいと思います。


 「僕が、これから話すことを断ってはいけませんよ」と電話口の鈴木治雄(昭和電工名誉会長)さんの声が響いた。一九九二年の頃だ。三年ほど前にバブル経済はピークに達し突然崩壊した。

 

 鈴木さんは以前から、大正時代に創刊されて十三年五ヶ月続き、世の中に大きな影響を遺した同人誌「白樺」を理想に掲げ、経済人による季刊文芸誌の創刊を夢見ておられた。その準備のための期間が終わった頃、バブル経済は破綻して企業人の信頼は地に堕ちた。正常な企業行動でさえも疑いの眼で見られた。鈴木さんは、今こそ理想を実現するための機であると考えたのだった。

 

 かねてから、鈴木さんとこの計画を語っておられたコスモ石油の住吉弘人社長が、会長になられたのも正に好機であった。鈴木さん御自身が、発行人となり、編集長を住吉さんとする。そして四十人もの同人を集められた。僕もその一人だったわけだ。

 

 セゾン・コーポレーション会長の堤清二さん、日興証券相談役の渡辺省吾さん、野村證券会長の相田雪雄さん、博報堂会長の近藤道生さん、新王子製紙名誉会長の河毛二郎さん、アサヒビール会長の樋口廣太郎さん、東京電力相談役の平岩外四さんをはじめとして、錚々たる顔ぶれが創刊当時の同人であった。