私は、雨の日を心待ちにする変わった人間かもしれない。きっと、それは“和傘”をさすようになったからであろう。
ロウで塗られた美濃和紙に落ちる雨が、パラパラと柔らかい音色を奏でて、私の心を喜ばせてくれる。そして、雨雲からもれる僅かな光に照らされた紫色の小間が、不思議な色彩で私の眼の奥を愉しませてくれる。
さて、最近街を歩いていて、みんな同じ顔をして、同じものに飛びつく、“機械人形”のような人々が増えてきたと感じている。
例えば、パンケーキが流行すると瞬く間に、同じようなお店が町中にあふれだす。「ここのお店は、あそこのお店とは、こんな工夫をしている」と、自慢げにお店もお客もマスコミも三つ巴になって騒いでいる。
ただ、残念なことにこの現象は、実は日本の政治や経済の世界でも似たような形で発生しているのだ。
現在、AIの研究が盛んにあちらこちらで話題にあがっている。もし将来、喜怒哀楽の感情をもったマシーンが、人間と同じような行動ができるようになれば、我々はどこに人間たる存在を見出していくのだろうか。
どこか、社会を眺めていると、日本の主要なリーダーをAIに牛耳られる、映画さながらのシーンがリアルに訪れるような危機感を私は感じずにはいられないのだ。