「本物の日本人としての精神文化」
● 切り口
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➢ 武士道
➢ 歴史上の“本物”の日本人。
➢ 日本文化
➢ 帝王学
➢ 古事記
● 問題意識
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近年、いろんな学校や職場で「多様性」を
よく耳にする。
「みんな違って、みんないい」
「いろんな価値観や個性を尊重しよう」
まさにその通り。
それが社会的により意識されるようになったことで、LGBTQや障害児教育、女性の社会進出がより進み、より多くの人が生きやすい世の中に徐々になってきてはいると思う。
しかし、何でもかんでも「多様性」で済ましてしまってはいないか。
私は、SDGsに「多様性(ダイバーシティ)」が掲げられたことによって、「多様性」が乱用されてきてしまっているように感じる。
例えば、組織においてある人が組織のルールに従わなかったとする。
それに対して、「賛同できなければ、それに従わなくてもいい。それは個性だから」、「多様性は尊重しなければならない」と「多様性」を盾にして自分を主張する人がいる。
さらに問題なのは、自分の背景を自分で語れなくなってしまってきていること。
グローバル化が進み、同時に「多様性」が広まったことで、他人の国籍や性別などの属性に目を向けなくなった。
これによって特定の属性に対する偏見や差別は減ったかもしれないが、それはただ、目を向けないようになっただけではないかとも時々思う。
そして、それによって自分の属性、アイデンティティにも目を向けなくなってはいないか。
そもそも「多様性」とは、
「(様々な社会、民族的背景、異なる性別、性的指向など)それぞれの人々が持つ多種多様なバックグラウンドを認め、尊重しよう」ということである。
自分のバックグラウンドをちゃんと理解することで初めて相手のバックグラウンドを理解し、尊重することができると思う。