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女性インタビュアーの思い出

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笹川能孝さん

~還暦の年に、“宿題”で鍛えてくれた、

年下の粋な師匠     20230618

 

xxxxxxx様

 

 一人で居ても 淋しくない 男であれ  

 

平成二十九年 八月二十四日 

笹川能孝

 

 

はじめて、笹川能孝氏の会社を訪れた真夏日に、ご著書にいただいたサインの言葉だ。

 

「私は、女なのに。なぜ、男?」と刹那、思ったが、男女かかわらず、の意と受け止めた。

 

ふりかえれば、私はあと4日で還暦、というタイミングだった。

 

・私は、中小企業経営者の勉強会の例会で、長年、講師への講演依頼および講演要約づくりをしている。

 

・お招きする講師は、政治家、経済人、学者、ジャーナリスト等、皆、その道の第一人者だ。つまり、多忙な方々ばかりで、おのずと講演依頼は、早め早めとなる。

 

・例会の半年から1年ほど前に依頼し、おもにメールで打ち合わせを行い、当日を迎える。

直接お会いすることなく、当日はじめて名刺交換となるケースも少なくない。

 

・ところが、笹川能孝氏は、はじめからとことん違った。

何が違ったか。

その違いから垣間見える、笹川能孝氏の実像を、少し、したためたいと思う。

 

・笹川能孝氏は、笹川良一実弟・春二氏の孫にあたる。思うに、現在、笹川一族の中で、笹川良一の真の姿を発信し続けているのは、唯一、能孝氏だけではないだろうか。

 

・そもそも、笹川能孝氏への講演依頼は、会の設立者K氏の熱き要望による。

 

・K氏曰く「笹川良一は、憧れの人物だ。悪名高いが日本の為に善いことをたくさんした。私財を投じ、戦犯遺族の面倒をみた。ハンセン病撲滅に尽力もした。戦後、競艇事業を立ち上げたのは、日本の戦後復興の為だった。笹川良一の国内外の様々な社会貢献のおかげで、今日の日本の指導層が世界から恩恵を受けている。笹川良一の血を受け継ぐ能孝氏の著書『笹川流』を拝読し、感銘を受けた。是非、政経倶楽部の例会で、ご講演を賜りたい」と。

 

・幸運にも、講演依頼を、能孝氏は快く引き受けてくれた。

 

・ところが、条件があった(ここからして、いつもと違った)。

 

・「インタビュー形式で行いたい。対談相手は女性でお願いしたい」という。

 

政経倶楽部の才媛は、皆、経営者で忙しい。対談式講演の準備をする時間などとてもない。ならば自分がやるしかない、と腹を括った(ここで、いつもの例会とは全く違う方向へ)。

 

・当時、例会の司会も担当しており、人前で話すことに苦はなかったが、「講師へのインタビューを人前で行う」ことは次元が違う。

私には、果てしなくハードルが高いことだった。

 

・私の不安を察してくださったのか、そもそも、準備万端を旨とされているのか、能孝氏は、何回か打合せの時間を設けてくださった。

 

・私の進行台本たたき台を、能孝氏が確認、要望を賜る、の繰り返しを数回。あとになって思えば、ご多忙の中、よくぞお時間を作ってくださったと感謝の思いだけなのだが、当時の私は、緊張と不安が9割で楽しむ余裕はなく、他の要因もあり、初の円形脱毛症も経験した。

 

・半年後。2月1日、本番当日。後にも先にも、これほど準備万端で迎えた例会はない。

 

・が、いざ、壇上に、能孝氏と並んで座ってみると、緊張度マックス。膝が震えている。

 

・「そんな、緊張せずに。楽しくやりましょう」と能孝氏の救いのひとことで、力がすっと抜け、いざ、スタート。終始一貫、スムーズに、楽しく事を進めることが出来た。

 

・「能孝氏の軌跡・笹川良一について・能孝氏の今」という三部構成で、1時間、質疑応答を重ねる中で、皆様へ分かりやすくお伝え出来たのではないかと自負している。

 

・笹川能孝氏とのエピソードを、もう少しご紹介しよう。

 

・ご著書『笹川流』は、安穏とした人生を歩んできた私には、衝撃的な内容の連続だった。

 

・笹川家の教えの「本物の男」になるべく、ご両親の教え(父からは「理不尽」、母からは「教養と品格」)と、20代に出会った政財界の大物たちからの教えを得て、たゆまぬ努力を重ね、「笹川能孝」氏は、存在していた。

 

・そんな、鋭い嗅覚と眼力を持つ能孝氏との初会合は、緊張100%で臨むしかなかったが、能孝氏が甘いもの好きと知り、おみやげのお菓子を恐る恐る差し出すと、「おや、嬉しい!」と、素直に喜ぶ笑顔がチャーミングで、緊張がほどけたものだった。

 

・初会合後の礼状には、達筆の筆文字でのご返事が届いた(直筆で手紙をくださる講師も稀である)。しかも、極上のひとことと共に。

 

「お便り有難うございます。貴女様の事柄の進め方など安定感があり、来年の会合が、愉しみになってきました。」

 

・何ごとにも時間がかかり、かつ、詰めが甘い不器用な私にとって、「安定感」などという誉め言葉は、このうえない自信につながるものだった。

 

・それから5年後。令和5年6月4日。皇室ジャーナリスト、高清水有子氏の講演会で、客席に笹川能孝氏の姿を見かけ、思わず、休憩時間にロビーで走り寄りお声をかけた。

 

・ここでも、能孝氏のご対応は、ふつうとは違った。

 

・なんと、ロビーの椅子に腰かけ、15分ほどもお話が弾んだのである。

 

・しかもお礼メールへのご返事には、「次なる企画の打合せを兼ねてお会いしましょう」と。

・「早からず遅からず、出会うべきして出会う」が、笹川能孝氏の考えだと、かつて読んだ。

 

・還暦を迎えた5年前、能孝氏の宿題で、高いハードルを乗り越えられた私。65歳のいま、またまた、大きな宿題を与えられた。この、有難きハードルを、楽しみながら乗り越えたい。