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「日本」が好きになれる人が増えれば嬉しい・・・

長堀優さんの感想(転載)

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「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」

 

 川端康成氏の名作「雪国」の冒頭の一節です。

 

 とても短い文章ですが、トンネルの闇が白く輝く雪に置き換わる劇的な光景が目に浮んできます。この一文に、陰陽が鮮やかに転換する瞬間が見事に表現されているのです。

 

 主語がなく、作者と読者の視点が同化しやすい日本語だからこそ可能となる描写といえます。

 その一方、主語がなくては成り立たない外国語では、読者の視点は汽車を外から俯瞰することになりがちで、このように短い表現はできません。

 川端康成氏は、日本人として初めてノーベル文学賞を受賞されていますが、その際、「美しい日本の私」というタイトルで印象的なスピーチを行なっています。

 このスピーチは、曹洞宗の開祖てある道元禅師の「本来ノ面目」と題する歌から始まります。

「春の花 夏ほととぎす

秋は月

冬雪さえて 冷しかりけり」

 続けていくつかの和歌を紹介した川端康成氏は、

「揮毫を求められた際にこれらの歌をよく書く、

 自然、人間に対するあたたかく、深い、こまやかな思いやりの歌として、

 しみじみとやさしい日本人の心の歌として人に書くのだ」

 と語りました。川端康成氏は、日本人の感性、日本語の特質を深く理解し愛した作家だったのです。

 冒頭の雪国の一節は、川端康成氏ならではの、簡潔で奥深い至極の表現といえるのでしょう。

 意外に思われるかもしれませんが、このような川端氏と小学校の同級生で終生お付き合いを続けたのが、笹川良一氏でした。

 川端康成氏との共通点は、日本を、そして日本人を愛し続けたことでした。

 笹川氏については、なんとなくのイメージはあっても、実際にどのような人物であったのか、じつはよく知らないというのが本当のところではないかと思います。
 
 このたび、その笹川良一氏の子孫にあたる笹川能孝氏と、作家の河合保弘氏による新刊「日本人最後のファンタジスタ」が上梓されました。

 最近は、機密文書の開示とともに、近代における秘史が徐々に明らかになりつつありますが、このような時代の潮流に合わせたかのような出版と言えます。

 この本では、笹川良一氏と川端康成氏が彼岸で昔の思い出を語り合うというファンタジックな手法で物語が紡がれていきますが、歴史的な出来事はすべて、残された文書や記録に基づいた事実です。

 笹川良一氏は、相場師として天才的な才能を発揮して巨額の財産を手にしますが、その資金を元手に公的な活動を世界的に繰り広げていきます。

 ことに飛行機に対する思い入れと国を守るという意識が強く、戦前は航空機20機と私設飛行場を陸軍に寄贈し、また自ら飛行機を操縦してイタリアに飛び、ムッソリーニとの会見も果たしています。

 この物語では、山本五十六東條英機などの重要人物との交流も描かれていますが、全ては無用の戦争を起こさないためでした。無罪になっていますが、戦後巣鴨プリズンに入ることになった経緯も世評とは異なるものでした。

 最近は、西鋭夫氏や池田整治氏、林千勝氏の著書のように、近代史の常識を変え、われわれを目覚めさせるような本がベストセラーとなっています。この新刊も、これまでの常識に一石を投じるお役目があるように感じます。

 ある世代以上の方なら、山本直純氏によるあのテーマソング「戸締り用心🎵火の用心🎵」が頭に残っている方も多いでしょう。

 売名行為になるから、と周囲から諌められたにもかかわらずなぜこの広告を続けたのか、その思いもこの本で語られています。

 国の形が曖昧になっているこの国を守るのは、私たち一人一人の意識に他ならないことをあらためて感じています。

 笹川能孝氏とは、河合保弘氏の出版記念講演会で初めてお会いしています。

 和服を粋に着こなす出で立ちもさることながら、こちらをまっすぐに見つめる良一氏を偲ばせる強い目力がとても印象的でした。

 笹川良一氏は、じつは子孫に美田を残していません。しかし、能孝氏には、良一氏の生き様がしっかりと伝えられていることを感じています。

 二月二十三日、東京の亀戸で出版記念講演会が開かれます。亀戸は私が生まれ育った街です。いろいろご縁が重なります。