第三幕
第七場:明日への希望
昭和四十七年(一九七二年)四月十六日、川端康
成は永遠の旅人となった。
神奈川県逗子市のマンションの一室で、ガス管
をくわえた遺体が発見されるのだ。
その原因は、今も分からないままである。
しかし、ノーベル文学賞受賞の後に、康成は
言っている。
「作家にとっては名誉などというものは、か
えって重荷になり、邪魔にさえなって、萎縮し
てしまうんではないかと思っています」
また、三島由紀夫の死に際しては、こう言って
いる。
「私は三島君の “ 楯の会 ” に親身な同情は持た
なかったが、三島君の死を思いとどまらせるに
は、楯 の会に近付き、その中に入り、市ヶ谷の
自衛隊へも三島君について行くほどでなければ
ならなかったかと思う」
そして康成は、作家なら通常は書いておくであ
ろうはずの遺書を遺してはいない。
享年七十二歳であった。