第三幕第四場:競走
浦和競馬場に続いて小倉競輪場を視察した良一
は、モーターボート競争(競艇)という新たな
競技を立ち上げて、その収益を社会貢献に回す
ことを考えるようになった。
しかし、ギャンブルを嫌う勢力が少なくない国
会では、なかなか議案が通らず苦労することに
なる。
康成は、国際ペンクラブ東京大会の開催のため
に奔走していたが、資金の寄付を受けてはとい
うメンバーからの提案から、良一と約四十年ぶ
りに再会することとなり、ある雑誌社の企画で
対談をすることになった。
良一は、母のテルを背負って金毘羅神社を参拝
するなど、親孝行を尽くすが、遂にテルは八十
一歳の生涯を閉じることとなる。
その頃の良一は、大阪府に本拠地のある辨天宗
という宗教に帰依しており、そこで松下幸之助
と出会い、同じく学歴のない偉人である田中角
栄の噂をしていた。