一度、太夫らがボイコットして
人間遣いだけの文楽を見たいものだ。
理由は、シンプル。
語りの太夫なくして
我々観客が、人間の動きだけで
どれだけ想像力を活かし、
無音な状態のなか文楽を愉しめるか?
一方で、「素浄瑠璃」と言って
太夫と三味線だけの演奏会は
行われている。
僕はまだ鑑賞経験はないけれども、
自分の頭にしっかり入っている
演目であれば、きっと人形がなくても
情景は頭の中で思い描くことができるだろう。
このように、文化芸術の世界では、
視覚と聴覚を刺激する存在が、
持ちつ持たれつの関係で支え合っている。