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共著 / 笹川良一物語 



 

日本人最後のファンタジスタ

~ 非暴力&非服従の人・笹川良一物語 ~

 

 

この物語の主人公は笹川良一

第二次世界大戦後を生きた人たちは、

彼を「政財界の黒幕」「フィクサー

「右翼のドン」などと呼び、腫れ物に

触れるかの如く、彼の話題を直接語ることを

避けてきたように思える。

 

この物語を書いて後世に残すべきと考えたのは

笹川能孝。

笹川良一実弟・春二の孫であり、正真正銘の

笹川家末裔である。

彼は、ほとんど言葉を交わしたこともない

大伯父の生涯に興味を持ち、その存在を大きな

誇りとして育ってきており、そして世間からの

一方的な評価に疑問を感じていた。

 

この物語をファンタジーに仕立てようと

考えたのは河合保弘。

作家で、笹川能孝の朋友でもある。

彼は、笹川良一と同じく大阪府に生を受け、

モーターボート競争の祭典「笹川賞」が

毎年開催されていた住之江競艇場の近くに

住み、「一日一善」のテレビコマーシャルを

見ながら、常に「笹川良一」という人物を

意識して育ってきた。

 

笹川良一少年は、空に憧れ、いつの日にか

空を飛び回りたいと夢見ていたという。

そんな良一少年には、全くタイプの違う

同級生がいた。

その名は川端康成、後のノーベル賞作家だ。

 

この物語は、後世に名を残す二人の少年、

そして彼らが想いを寄せていた一人の少女との

出会いから始まり、山本五十六東條英機

川島芳子松下幸之助市川右太衛門

三島由紀夫棟方志功、大森智辯ら、

軍部、政財界、芸能界、操觚界、芸術界、

宗教界などの著名人との交流を交えながら、

良一が96歳の生涯を閉じる日まで続く、

長い長いファンタジーとなっている。

 

笹川良一は生涯にわたって、ただの一度も

暴力を振るったことがなかった。

何故なら、彼は暴力などを使わなくても、

その存在を十分に主張できる術を持っていた

からである。

また彼は生涯にわたって、ただの一度も

他人に服従したことがなかった。

何故なら、彼は犯罪や脱税や不正行為は

もちろん、「お天道様に顔向けできないこと」

は、何一つとして行っていないからである。

 

良一は、第二次世界大戦前は米相場や株式相場

で巨万の富を築き上げ、「大衆右翼」を名乗ろ

政治活動をしていたが、対米戦争に反対し、

東條英機政権に真っ向から異を唱えた彼は、

果たして世の評価が言うような単なる「右翼」

だったのだろうか?

 

また彼は第二次世界大戦後、世界平和を唱え、

その憧れの対象を空から海に変えて「日本船舶

振興会」を設立、その収益や個人財産の大半を

ハンセン病撲滅運動をはじめとする社会活動に

費やしているが、果たして世の評価が言うよう

な単なる「偽善」だったのだろうか?

 

そして彼は、長い生涯の中で、何人もの女性に

影響を与え影響を与えられながら生き続けた。

彼には常人には想像できないくらいの深く

大きな愛の心があったのかも知れない。

 

笹川能孝と河合保弘は、笹川良一の人生を、

客観的かつファンタスティックに描くドラマが

あっても良いのではないかと考えた。

 

日本人最後のファンタジスタ

 

ファンタジスタ」とは、イタリア語が語源。

機知やユーモアに富んだ役者や、天才的な

プレーを見せるサッカー選手に対する賛辞と

して使われている言葉である。

かつて、民間人の身でありながら20数機の

飛行機と専用飛行場まで持っており、

空を渡って満州国皇帝・溥儀やイタリアの

ムッソリーニ総統との面会まで果たした

笹川良一、その誰にも真似のできない

空前絶後とも言える生涯を一言で示すに

相応しい言葉なのではないかと感じている。