嵐は、父親。
強い木は男の子。
父親の腹の定め方で
男の子は男になれる。
嵐は、父親。
強い木は男の子。
父親の腹の定め方で
男の子は男になれる。
『日本人最後のファンタジスタ』
河合保弘・笹川能孝著、つむぎ書房
・ハンセン病への差別偏見を根絶するために
人物評価は難しい。「悪」と評される人ほど、難しい。本書の主人公、笹川良一もその一人だ。その笹川を舞台の脚本の如く、3幕、21場で描いたものが本書になる。人物、時代に馴染みのない読者の為に、登場人物のプロフィールが付されているのは有難い。
評者は『正翼の男』(佐藤誠三郎著)、『残心』(笹川陽平著)、『巣鴨日記』(笹川良一著)などを読了した。それだけに、笹川良一の輪郭は理解している。しかし、これを世間に解説するとなると厄介だ。その一例が、本書に登場するノーベル文学賞受賞者の川端康成と笹川とが古くからの友人関係にあったことだ。美しい日本を世界に紹介した川端と「右翼のドン」と呼ばれる笹川とが親しいはずがない。そう世間は曲解して見たがる。
更に、連合艦隊司令長官として昭和16年(1941)のハワイ真珠湾攻撃を指揮した海軍元帥山本五十六もだ。笹川と山本とが親しい関係にあったなど、「ありえない」として信用しない。大東亜戦争(太平洋戦争)後、戦争犯罪人を収容する巣鴨にいた笹川が山本五十六と親しいはずがないとして、世間は信じたくないのだ。さほど、世間は先入観、風評だけで人物を評価する。
このことはメディアの世界にも言える。文藝春秋社は「平成日本50人のレクエイム」という企画で笹川が選ばれたにも関わらず、掲載を見送った。研究者である佐藤誠三郎のインタビューも終わっていたにも関わらずだ。しかし、オピニオン誌の「月刊日本」が記事掲載した。このことで『正翼の男』が書籍化できたのだ。
「君の意見には反対だ。しかし、君の意見を封じる権利はない」として、出版の雄である文芸春秋社は伝えるのが本筋。しかし、真綿で首を絞めるがごとき、言論弾圧を加えた。このような目に見えない状況下、笹川良一を主人公とする小説が世に登場した。察するに、何かと波風があったのでは・・・。
本書が世に伝えたいのは、『残心』(笹川陽平著)でも述べられるハンセン病撲滅運動に笹川良一が貢献した事実だ。意外にも、日本人はこのことを知らない。世界は評価しているにも関わらずだ。ここにも、「まさか・・・」「信じられない」という偏見が横たわっている。ハンセン病患者は隔離され、病者を出した家は理由も無く差別を受けた。いまだ、ハンセン病は完全に世界から撲滅されたわけではない。その撲滅運動に先鞭をつけたのが笹川良一といっても過言ではない。笹川に対する偏見を解くのは容易ではない。しかし、笹川の願いであるハンセン病患者への差別偏見はやめて欲しい。その原点を笹川の生涯を通じて、本書は紹介しているのだ。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」
川端康成氏の名作「雪国」の冒頭の一節です。
とても短い文章ですが、トンネルの闇が白く輝く雪に置き換わる劇的な光景が目に浮んできます。この一文に、陰陽が鮮やかに転換する瞬間が見事に表現されているのです。
主語がなく、作者と読者の視点が同化しやすい日本語だからこそ可能となる描写といえます。
その一方、主語がなくては成り立たない外国語では、読者の視点は汽車を外から俯瞰することになりがちで、このように短い表現はできません。
川端康成氏は、日本人として初めてノーベル文学賞を受賞されていますが、その際、「美しい日本の私」というタイトルで印象的なスピーチを行なっています。
このスピーチは、曹洞宗の開祖てある道元禅師の「本来ノ面目」と題する歌から始まります。
「春の花 夏ほととぎす
秋は月
冬雪さえて 冷しかりけり」
続けていくつかの和歌を紹介した川端康成氏は、
「揮毫を求められた際にこれらの歌をよく書く、
自然、人間に対するあたたかく、深い、こまやかな思いやりの歌として、
しみじみとやさしい日本人の心の歌として人に書くのだ」
と語りました。川端康成氏は、日本人の感性、日本語の特質を深く理解し愛した作家だったのです。
冒頭の雪国の一節は、川端康成氏ならではの、簡潔で奥深い至極の表現といえるのでしょう。
意外に思われるかもしれませんが、このような川端氏と小学校の同級生で終生お付き合いを続けたのが、笹川良一氏でした。
川端康成氏との共通点は、日本を、そして日本人を愛し続けたことでした。
笹川氏については、なんとなくのイメージはあっても、実際にどのような人物であったのか、じつはよく知らないというのが本当のところではないかと思います。
このたび、その笹川良一氏の子孫にあたる笹川能孝氏と、作家の河合保弘氏による新刊「日本人最後のファンタジスタ」が上梓されました。
最近は、機密文書の開示とともに、近代における秘史が徐々に明らかになりつつありますが、このような時代の潮流に合わせたかのような出版と言えます。
この本では、笹川良一氏と川端康成氏が彼岸で昔の思い出を語り合うというファンタジックな手法で物語が紡がれていきますが、歴史的な出来事はすべて、残された文書や記録に基づいた事実です。
笹川良一氏は、相場師として天才的な才能を発揮して巨額の財産を手にしますが、その資金を元手に公的な活動を世界的に繰り広げていきます。
ことに飛行機に対する思い入れと国を守るという意識が強く、戦前は航空機20機と私設飛行場を陸軍に寄贈し、また自ら飛行機を操縦してイタリアに飛び、ムッソリーニとの会見も果たしています。
この物語では、山本五十六、東條英機などの重要人物との交流も描かれていますが、全ては無用の戦争を起こさないためでした。無罪になっていますが、戦後巣鴨プリズンに入ることになった経緯も世評とは異なるものでした。
最近は、西鋭夫氏や池田整治氏、林千勝氏の著書のように、近代史の常識を変え、われわれを目覚めさせるような本がベストセラーとなっています。この新刊も、これまでの常識に一石を投じるお役目があるように感じます。
ある世代以上の方なら、山本直純氏によるあのテーマソング「戸締り用心🎵火の用心🎵」が頭に残っている方も多いでしょう。
売名行為になるから、と周囲から諌められたにもかかわらずなぜこの広告を続けたのか、その思いもこの本で語られています。
国の形が曖昧になっているこの国を守るのは、私たち一人一人の意識に他ならないことをあらためて感じています。
笹川能孝氏とは、河合保弘氏の出版記念講演会で初めてお会いしています。
和服を粋に着こなす出で立ちもさることながら、こちらをまっすぐに見つめる良一氏を偲ばせる強い目力がとても印象的でした。
笹川良一氏は、じつは子孫に美田を残していません。しかし、能孝氏には、良一氏の生き様がしっかりと伝えられていることを感じています。
二月二十三日、東京の亀戸で出版記念講演会が開かれます。亀戸は私が生まれ育った街です。いろいろご縁が重なります。
2024年新しい年がスタートしました。
この度の震災に際し心よりお見舞い申し上げます。
暮れの1年は親の介護などで精神的にも毎日が辛くいっそう死んでしまおうかと真剣に考え悩んでるなか、自分も何とか年を越せました。
フェイスブックで繋がっている皆様方々にご心配をおかけして
大変申し訳ございませんでした。私自身も何とか復帰出来ました。
実は暮れにある会のお導きにより笹川能孝さんとご縁を 頂きまして先日お会いしてきました。
皆様もご存知かと思いますが
戦後からご活躍されていた
笹川良一 氏は競艇の創設に尽力し、さらに慈善寄付金などされた『日本の首領「ドン」』と呼ばれたお方ですが。
当時のメディアはどのように捉えたかは知りませんが器の大きなお方だったはずです。
笹川能孝さんからご連絡を頂いたときに笹川さんは ” 劇画に対する哲学など深く理解してもらうための機会 “ と言うこともあり、笹川さんと話しをしているなか沈着冷静に話しを始められて私が思う以上に先々の劇画に対して今後の流れをいち早く読みとられておりました。
私もいろんな方々とお会いしてきましたが笹川さんが劇画を 大変理解してくださっていたのに嬉しくて感無量な私でした。
この場を おかりして笹川能孝さん、ほんとうにありがとうございました。
感謝しております。
2024年 元旦