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92号 稀勢の里

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私は、久しぶりに泣いた。

 

喜怒哀楽を見せないことでも有名なあの男が、土俵下での優勝インタビューのなかで、言葉に詰まり泣を流したのだ。

 

それは、十九年ぶりの日本人横綱誕生の瞬間でもあった。

 


二〇〇二年の初土俵以来、七十三場所もの時間を経て横綱まで昇りつめた力士は、今まで私の記憶にはいない。

 

彼は、大変苦しみながらも大関に在位し続け、白鵬の連勝記録をいくたびも止めてきた。

 

しかし、勝負の世界は皮肉なもので、彼は何度となく綱取りを逃してきた。

 

角界関係者からは、「もう、横綱にはなれないのでは・・・」と囁かれ始めるようにもなった。こういう窮地に追い込まれた末の横綱昇進は、私にとって感慨もひとしおだ。

 

私が、彼を心から「日本の国技のために、くじけるな」と祈るように応援するようになったのは、白鵬とのある取り組みを見た時からだった。


二〇一三年、九州場所の取り組みだったが、土俵の上では異様な空気が漂っていた。

 

それは、土俵に入った二人が、蹲踞(そんきょ)の姿勢のまま睨み合いながら、微動だにしない。

 

その後も、両者は立ったまま睨らみ合いが続く。これは間違いなく、彼があの白鵬に喧嘩を売っているのだ。決して感情あらわにしないことを知っている私にとって、びっくりはさせられたが、嬉しくも頼もしくも思った。

 

その凄まじい迫力で土俵際ぎりぎりのところで、上手投げで白鷗から逆転勝利を奪い取った。

 

場内は座布団が投げ乱れ、誰からともなく、「万歳三唱」の歓声が湧きあがり、しばらく鳴り止まことはなかった。

 

若貴ブームが過ぎ、国技である相撲がいつの間にか、モンゴルを中心とする外国人力士がけん引する時代になった。

 

それは、「もう、このまま日本人横綱は出てこない」という国民のあきらめと閉塞感が長く続いた時代でもあった。

 

この万歳三唱の光景は、「一日も早く日本人力士として横綱となって、日本の国技を取り戻してくれ、稀勢の里!」という国民の悲痛な叫びに、私は聞こえた。


あの涙のインタビュー以降、彼は連日マスコミに登場するようになった。大関時代とは打って変わって、生気が満ち溢れた顔つき、そして堂々とした態度は、まさしく横綱の風格そのもの立ち振る舞いだ。

 

さて、私のこれからの楽しみは、稀勢の里横綱になり、どのような相撲を取るかということと、もう一つある。

 

それは、白鵬との横綱同士の取り組みだ。私は心密かに思っていることがある。それは、「稀勢の里よ、あの白鵬を倒して引退させてくれ」と。私たちの熱い戦いは、これからも静かに続いていく。